ワイがうつになりまして。
昔の日記の雰囲気とのギャップに驚かれる方もいらっしゃると思うが、素面の僕は元来こんな感じだ。酒でテンションが上がった状態でしか文章を書いていなかった。本当は心の苦しさを酒とアイドルで誤魔化していた。
そんな感じがいつまでも続くわけもなく、今は肝臓がぶっ壊れたので酒はやめたものの、うつ病には今でも悩まされている。リーマンショックのころに心療内科に行った。
今でこそ心療内科に行くことはそんなに恥ずかしいことではないが、当時はまだ相当勇気のいることだった。メンタルヘルスが重要視されるようになった今はいい時代になったものだ。といっても、その手の本を読むとまるで見当違いのことが書いてあったりする。「〜でなければならない」という思考をやめましょうといわれてもそれができれば苦労はない。
休職することになったがそれをいいことに朝から酒を飲みながらアイドルを見る日々を送った。薬も飲んだがまずドグマチール、あまり効果がないのでデプロメールを少量というどうしようもない処方だった。改善するはずがない。
当時は仕事を空けすぎて辞めさせられるのが恐かったのでそれでも無理やり復職した。
するとプロジェクトリーダーにさせられた。病み上がりの者にあてがうにはあまりにも責任の重い仕事だ。一回潰れたやつはもういらんから自発的に辞めるよう仕向けられたのだろうか。
なんとかシステムが形になるよう設計まではしたが限界が来て会社を辞めた。最後に上司に相談した際に言われた言葉は忘れもしない。「君はコミュニケーション能力がなくSEに向いていない。辞めることを勧める」。かつて異なる会社間の調整役までした僕にコミュニケーション能力がないらしい。
時を同じくして親父が会社のリストラに遭い、僕にこう持ち掛けた。「一緒に岩手に帰らないか」。
そんな感じがいつまでも続くわけもなく、今は肝臓がぶっ壊れたので酒はやめたものの、うつ病には今でも悩まされている。リーマンショックのころに心療内科に行った。
今でこそ心療内科に行くことはそんなに恥ずかしいことではないが、当時はまだ相当勇気のいることだった。メンタルヘルスが重要視されるようになった今はいい時代になったものだ。といっても、その手の本を読むとまるで見当違いのことが書いてあったりする。「〜でなければならない」という思考をやめましょうといわれてもそれができれば苦労はない。
休職することになったがそれをいいことに朝から酒を飲みながらアイドルを見る日々を送った。薬も飲んだがまずドグマチール、あまり効果がないのでデプロメールを少量というどうしようもない処方だった。改善するはずがない。
当時は仕事を空けすぎて辞めさせられるのが恐かったのでそれでも無理やり復職した。
するとプロジェクトリーダーにさせられた。病み上がりの者にあてがうにはあまりにも責任の重い仕事だ。一回潰れたやつはもういらんから自発的に辞めるよう仕向けられたのだろうか。
なんとかシステムが形になるよう設計まではしたが限界が来て会社を辞めた。最後に上司に相談した際に言われた言葉は忘れもしない。「君はコミュニケーション能力がなくSEに向いていない。辞めることを勧める」。かつて異なる会社間の調整役までした僕にコミュニケーション能力がないらしい。
時を同じくして親父が会社のリストラに遭い、僕にこう持ち掛けた。「一緒に岩手に帰らないか」。