翠玉のメロディ

うつ病の寛解

動けないほどたまきんが痛いので救急車を呼んだ。痛み止めだけ打たれて大きな病院で診てもらうように言われ、親戚のおじさんに頼んで車で連れて行ってもらった。気まずかったのはいとこの女の子が一緒に来たことである。というのも風呂に入ってなかったので僕の体は相当に臭かった。

大病院で診てもらうと尿路結石ということだった。普通は腰辺りが痛いのだが僕はなぜかたまきんが痛かった。それよりも血液検査の結果が相当に悪いので内科で診てもらうように言われた。

後日内科に行き、様々な検査を経てアルコール性肝硬変が判明した。肝臓は少し傷ついても残りの部分で代わりがきき、回復力もある臓器だ。しかし僕の場合、末期にはストロング缶500mlを12本と無茶苦茶な量を飲んでいたので、非代償期といって生体肝移植でもしない限り二度と回復が見込めないものになっていた。治療といえばこれ以上悪くならないように酒をやめ、肝臓で作ることのできなくなった栄養を薬で補う療法しかない。

肝臓が働かなくなったことでひどく疲れやすくなっていた。1日8時間を5日間など到底持たない。障害者手帳をもらって障害者枠で働くようになった。

うつ病についてはある程度対処法がわかった。医者の言われるままの薬を飲んでいたが、あれを試したい、これを試したいと自ら言い、合う薬を探した。医者は病気を治してはくれない。治す手助けをしてくれるだけだと思ったほうがいい。病気を治すのは自分だ。

あらゆる薬を試したが合う薬が見つからなかったので、本邦未認可薬を輸入業者から取り寄せてあれこれ試し(もちろん合法的に)、やっと合う薬に出会った。今は気分が落ち込むことも、理由のない不安感が空から降ってくることもなくなっている。

大事なことは自分の病気のことを自分で徹底的に調べることだ。医者に放り投げていても名医なら別にして治ることはない。これがわかるまで10年かかった。言い換えれば10年を無駄にした。心の病気に悩んでいる人は私のようにならぬようにしていただければ幸いである。

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岩手へ

塞ぎ込んだ僕を見かね、環境を変えてやろうと親父は移住を提案したのだと思った。嬉しかった。しかし元来親父は人のために何かをする人ではない。今思えば自分が故郷に帰りたくなったから僕を出しに使ったのだ。ひとりでは帰りづらいが、僕も行くとなれば母も来る可能性が高くなる。

盛岡に親父とふたりで移住し、親父の恐らく思惑通り母も遅れてやってきた。妹は東京に残った。僕はしばらくうだうだしたあと、母の故郷近くに職を見つけ、一人暮らしをしながらそこで働くことになった。

自然に囲まれ何もかもが新しい経験だったが、何年かしてうつがぶり返し、職を辞めた。盛岡に帰る気力もなく、その場に残ったまま酒ばっかり喰らう毎日を送っていたら、ある日たまきん辺りが猛烈に痛くなった。

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ワイがうつになりまして。

昔の日記の雰囲気とのギャップに驚かれる方もいらっしゃると思うが、素面の僕は元来こんな感じだ。酒でテンションが上がった状態でしか文章を書いていなかった。本当は心の苦しさを酒とアイドルで誤魔化していた。

そんな感じがいつまでも続くわけもなく、今は肝臓がぶっ壊れたので酒はやめたものの、うつ病には今でも悩まされている。リーマンショックのころに心療内科に行った。

今でこそ心療内科に行くことはそんなに恥ずかしいことではないが、当時はまだ相当勇気のいることだった。メンタルヘルスが重要視されるようになった今はいい時代になったものだ。といっても、その手の本を読むとまるで見当違いのことが書いてあったりする。「〜でなければならない」という思考をやめましょうといわれてもそれができれば苦労はない。

休職することになったがそれをいいことに朝から酒を飲みながらアイドルを見る日々を送った。薬も飲んだがまずドグマチール、あまり効果がないのでデプロメールを少量というどうしようもない処方だった。改善するはずがない。

当時は仕事を空けすぎて辞めさせられるのが恐かったのでそれでも無理やり復職した。

するとプロジェクトリーダーにさせられた。病み上がりの者にあてがうにはあまりにも責任の重い仕事だ。一回潰れたやつはもういらんから自発的に辞めるよう仕向けられたのだろうか。

なんとかシステムが形になるよう設計まではしたが限界が来て会社を辞めた。最後に上司に相談した際に言われた言葉は忘れもしない。「君はコミュニケーション能力がなくSEに向いていない。辞めることを勧める」。かつて異なる会社間の調整役までした僕にコミュニケーション能力がないらしい。

時を同じくして親父が会社のリストラに遭い、僕にこう持ち掛けた。「一緒に岩手に帰らないか」。

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暇4

今日は3時間で帰ろうか。体力が持たない。今日無理をすれば明日起きられなくなってしまうだろう。

酒豪なんていって調子に乗って酒を飲むから肝硬変になった。後悔はしていない。遅かれ早かれこうなっていただろう。

高校生になったころ心にぽっかりと穴が開くようになった。初めて酒を飲んだとき、それがすっかりと埋まるのを感じた。心が満たされた。あの時点でもう肝硬変への道は決まっていたのだ。

なぜ心に穴を感じたのか。いい年をして親のせいにはしたくないが親のせいだろう。自分のせいといえば格好がいいが自分で自分に穴を空けたんだなんて言われたらひどいじゃないか。

肝硬変患者は肝臓がんのリスクが高まるという。どこかでそれを望んでいる自分がいる。生きながらにして死んでいる自分と、文字通りこの世からいなくなる自分。どちらにしたって同じだ。

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暇3

朝起きてまず考えることは仕事を休む理由だ。実際休むかどうかは別にして。

体を壊したので週5日1日6時間勤務である。にしても長い。暇なので長い。かつてはやることがいっぱいあって気づけば定時を過ぎていた。それなりに充実していた。

このままこの仕事を続けられるだろうか。きれいなおねいさんでもいればいいが、そんなのはいない。ただただ暇なだけである。とても耐えられない。次を考えなければならない。

通勤だけで疲れてしまうので在宅ワークも考えた。ランサーズやクラウドワークスもやってみたが全然よくない。単価が安すぎる。サラリーマンがいかにいいかがわかる。

どこかで道を誤っただろうか、と考える。でも、どう転んでも今の通りになっていた気がする。

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暇2

例えばここで「ウンジャラゲー!」と叫んだとする。何事かと周りは一瞬こちらを見るだろう。しかし僕は何事もなかったようにパソコンに向かう。周りは何だろうと様々思いを巡らす。狂ったのだろうか。元々こういう人だったのだろうか。エクセルが落ちて今までの作業が台無しになった嘆きだろうか。

だがそのどれでもない。ただ叫んだだけだ。

そのあと周りは僕にどう接するだろう。恐らく何も見なかった、聞かなかったようにするに違いない。「どうかしたんですか?」と聞いたりする、人に興味のある人などいない。だが腹の中では僕のことを変な人だと見るようになっている。なるべく関わらないようにと思うだろう。

でもそれがどうしたというのだろう。何が変わるというのか。元々空気のような存在だ。変な人だと思われようとどうということはない。

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