翠玉のメロディ

小坂菜緒

心の問題がすぐ体の不調となって現れる人もいるが、不幸にも体が丈夫な人は目に見えないので外から見えづらい。「言ってくれれば助けになったのに」と言われても、うつになっている人は自分のことで迷惑をかけたくないと思ってしまうので言いづらい。動けないほど疲弊してやっと周辺が気づくか、様子が変な理由を問い正されて仕方なく自分から言うことになる。例えそれで休みをもらったとしても、迷惑をかけて申し訳ないと自罰的に物事を考えるようになっているので余計に苦しくなる。

半年以上休むと復帰は難しいと思っている。なぜ半年かというと自分の経験と感覚上そうだったから。季節が2回変わるのはでかい。半年も休んで皆に申し訳ないのと、またあのつらい日々が始まるのかと思うと身動きがとれない。

また温かく迎え入れる雰囲気と、仕事の調整が必要だ。でなければ辞める選択をするだろう。

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マウント

僕のようにプライドをズタズタにされてうつ病になった挙句、復職したらレベルの高すぎる仕事を押し付けられて辞めるよう仕向けられ、上司に助けを求めたら逆に心無い言葉を浴びせられて会社を辞めた人も少なからず居よう。そのあとどういう経緯であれ再就職することになると思うが、そのときに注意すべき点について。

いきなり親しげに話しかけてきて、やたら親切にしてくる人は警戒すべきである。そうやってマウントを取れるかどうか様子を窺っている可能性がある。気の弱そうなやつだと見るや、自分の仕事を押し付けてきたり、下手をすると人のやった仕事を自分の成果にしかねない。いじめの対象にできるかどうか見ているのかもしれない。そしたらまたうつに逆戻りだ。

親切は親切と受け取っておいて、相手に気の弱いやつと気取られぬようにあとは放っておこう。相手が親切にしてくれるからって、こちらからも親切にしなければならない義理はない。死んでも「〇〇さんのおかげでいつも助かります」などと言ってはならない。言ってしまったらやつらは「こいつチョロいな」と腹の中で思うだろう。親切にされたら「ありがとうございます」の一言だけでいい。基本うつ明けに新しい職場で働くときは当たり前のあいさつと「ありがとうございます」と「すいません」だけでいい。

最初のうちはそうやっておいて、あとはだんだんどんな人か見えてくるだろう。「この人がしゃべってると周りがなんだか白けてるな」とか、そんな雰囲気がわかるようになる。逆に本当にいい人だったら周りも話の輪にどんどん入っていくだろうし、自分も入っていけばいい。

もちろんこれは僕が考えるだけで、すべての場合に当て嵌るわけではない。ただ、いきなり親しげにしてくるやつには注意しておいたほうがいいのは確か。

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死のうと思わなくなったこと

大学時代、特定の人と頻繁につるむこともなく日記を書いていた僕だったが、一人だけ僕の掲示板にレスしてくれたり、チャットしてくれたり、ときにはイベントや握手会に連れ出してくれたりした人がいた。その人がだいぶ前に自ら命を絶っていたことを知った。ショックだった。自分が死んでも誰も悲しまないと思っていたが、親しくはあったが付き合いの短い人が死んだと聞いてこんなにショックを受けるなんて思わなかった。悲しかった。それからよほどのことがない限り死のうとは思わなくなった。

死のうとは思わなくなったが、だからといって世界が一変するわけではない。出口から差す光はまだ見えない。

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眠い

人にもよるが、パキシル、レクサプロのようなSSRIやサインバルタのようなSNRIはお勧めしない。自分じゃないような感じになる。薬に支配されているよう感じ。不快になって急に辞めると、所謂シャンビリが起こる。僕の場合耳の中はシャンシャンしなかったが、不整脈のような、予想のつかない電撃がいきなり体を走ってびっくりする。不快極まりない。

レメロン(リフレックス)を飲んだ時は初日に極彩色のサイケデリックな夢を見た。自分でも驚くほど行動力が出て、東京へラーメン屋巡りの旅なんかに出かけるほどだった。ラーメン屋巡りというくらいだから食欲も半端ない。ただ噂通りすぐ腰折れする。効いているんだか、効いていないんだかわからないラムネになってしまう。

ブプロピオンも自分じゃないような感じになる。カフェインを取りすぎたときみたいになる。食欲もなくなる。禁煙に使われるというので、欲を抑える作用があるのだろう。ダイエットにはいいかもしれない。

僕に足りないのはドーパミンかも、と思ってエビリファイやアマンタジンも試してみたが、効き目を感じなかった。

もう一回レメロン(リフレックス)を試したいと思ったが、金がなかったので構造が似ているテトラミドを試した。大した効き目は感じなかった。

古い薬も試した。アモキサンやトリプタノール、ルジオミールは比較的効いた。気分が少し持ち上がる。アナフラニールは効き目がよくわからず、急に辞めたらSSRIやSNRIと同じくシャンビリが来た。セロトニンを増やす薬はシャンビリを起こす傾向があるらしい。

ただシャンビリが怖いからといってSSRIやSNRIをあえて避けるというのはよくない。自分には合っているかもしれない。それに合わなかったとしても僕みたいに急に辞めず、漸減していけばそこまで恐れることはない。お勧めはしづらいけど。

今はどうにか安定している。気分が沈むことがなくなったし、得たいの知れない不安感に襲われることもない。

苦しみから逃れたい、治したいという一心でここまで来た。起きている間ずっと死ぬことばかり考えていた時もある。だがモーヲタ時代仲良くしてくれた、ある人のおかげで踏みとどまれた。

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寛解とは

寛解というのはうつ病がすっかり治ることではない。薬で安定した状態だ。薬を飲むのをやめたり忘れたりすると、底なし沼に脚を引っ張られるようにしてうつに引きずり込まれる。新型コロナウイルスの影響で薬が届くのが遅れたときは地獄を見た。薬は余分に持っておいたほうがいい。

会社でうつになり始めたときに話を戻すと、友達はしょせん他人事だし、親も、兄弟も誰も理解しようとしてくれなかった。それは仕方ない。うつになったことがない人にうつの気持ちをわかれと言っても無理な話だ。

酒に助けを求めるしかなかった。酒だけが嫌な気持ちを忘れさせてくれ、楽しい気分にさせてくれた。

しかしそれはあるときからおかしな方向を向き始めた。酒を飲むことだけが目的となり、飲みすぎで具合が悪くなって嫌な気分を呼んだり、気持ちを沈ませる原因になっていった。当時の僕は酒のせいかうつのせいか頭がおかしくなっており、例え気分が悪くなることが分かっていようと酒を飲むことをやめなかった。

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うつ病の寛解

動けないほどたまきんが痛いので救急車を呼んだ。痛み止めだけ打たれて大きな病院で診てもらうように言われ、親戚のおじさんに頼んで車で連れて行ってもらった。気まずかったのはいとこの女の子が一緒に来たことである。というのも風呂に入ってなかったので僕の体は相当に臭かった。

大病院で診てもらうと尿路結石ということだった。普通は腰辺りが痛いのだが僕はなぜかたまきんが痛かった。それよりも血液検査の結果が相当に悪いので内科で診てもらうように言われた。

後日内科に行き、様々な検査を経てアルコール性肝硬変が判明した。肝臓は少し傷ついても残りの部分で代わりがきき、回復力もある臓器だ。しかし僕の場合、末期にはストロング缶500mlを12本と無茶苦茶な量を飲んでいたので、非代償期といって生体肝移植でもしない限り二度と回復が見込めないものになっていた。治療といえばこれ以上悪くならないように酒をやめ、肝臓で作ることのできなくなった栄養を薬で補う療法しかない。

肝臓が働かなくなったことでひどく疲れやすくなっていた。1日8時間を5日間など到底持たない。障害者手帳をもらって障害者枠で働くようになった。

うつ病についてはある程度対処法がわかった。医者の言われるままの薬を飲んでいたが、あれを試したい、これを試したいと自ら言い、合う薬を探した。医者は病気を治してはくれない。治す手助けをしてくれるだけだと思ったほうがいい。病気を治すのは自分だ。

あらゆる薬を試したが合う薬が見つからなかったので、本邦未認可薬を輸入業者から取り寄せてあれこれ試し(もちろん合法的に)、やっと合う薬に出会った。今は気分が落ち込むことも、理由のない不安感が空から降ってくることもなくなっている。

大事なことは自分の病気のことを自分で徹底的に調べることだ。医者に放り投げていても名医なら別にして治ることはない。これがわかるまで10年かかった。言い換えれば10年を無駄にした。心の病気に悩んでいる人は私のようにならぬようにしていただければ幸いである。

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岩手へ

塞ぎ込んだ僕を見かね、環境を変えてやろうと親父は移住を提案したのだと思った。嬉しかった。しかし元来親父は人のために何かをする人ではない。今思えば自分が故郷に帰りたくなったから僕を出しに使ったのだ。ひとりでは帰りづらいが、僕も行くとなれば母も来る可能性が高くなる。

盛岡に親父とふたりで移住し、親父の恐らく思惑通り母も遅れてやってきた。妹は東京に残った。僕はしばらくうだうだしたあと、母の故郷近くに職を見つけ、一人暮らしをしながらそこで働くことになった。

自然に囲まれ何もかもが新しい経験だったが、何年かしてうつがぶり返し、職を辞めた。盛岡に帰る気力もなく、その場に残ったまま酒ばっかり喰らう毎日を送っていたら、ある日たまきん辺りが猛烈に痛くなった。

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ワイがうつになりまして。

昔の日記の雰囲気とのギャップに驚かれる方もいらっしゃると思うが、素面の僕は元来こんな感じだ。酒でテンションが上がった状態でしか文章を書いていなかった。本当は心の苦しさを酒とアイドルで誤魔化していた。

そんな感じがいつまでも続くわけもなく、今は肝臓がぶっ壊れたので酒はやめたものの、うつ病には今でも悩まされている。リーマンショックのころに心療内科に行った。

今でこそ心療内科に行くことはそんなに恥ずかしいことではないが、当時はまだ相当勇気のいることだった。メンタルヘルスが重要視されるようになった今はいい時代になったものだ。といっても、その手の本を読むとまるで見当違いのことが書いてあったりする。「〜でなければならない」という思考をやめましょうといわれてもそれができれば苦労はない。

休職することになったがそれをいいことに朝から酒を飲みながらアイドルを見る日々を送った。薬も飲んだがまずドグマチール、あまり効果がないのでデプロメールを少量というどうしようもない処方だった。改善するはずがない。

当時は仕事を空けすぎて辞めさせられるのが恐かったのでそれでも無理やり復職した。

するとプロジェクトリーダーにさせられた。病み上がりの者にあてがうにはあまりにも責任の重い仕事だ。一回潰れたやつはもういらんから自発的に辞めるよう仕向けられたのだろうか。

なんとかシステムが形になるよう設計まではしたが限界が来て会社を辞めた。最後に上司に相談した際に言われた言葉は忘れもしない。「君はコミュニケーション能力がなくSEに向いていない。辞めることを勧める」。かつて異なる会社間の調整役までした僕にコミュニケーション能力がないらしい。

時を同じくして親父が会社のリストラに遭い、僕にこう持ち掛けた。「一緒に岩手に帰らないか」。

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暇4

今日は3時間で帰ろうか。体力が持たない。今日無理をすれば明日起きられなくなってしまうだろう。

酒豪なんていって調子に乗って酒を飲むから肝硬変になった。後悔はしていない。遅かれ早かれこうなっていただろう。

高校生になったころ心にぽっかりと穴が開くようになった。初めて酒を飲んだとき、それがすっかりと埋まるのを感じた。心が満たされた。あの時点でもう肝硬変への道は決まっていたのだ。

なぜ心に穴を感じたのか。いい年をして親のせいにはしたくないが親のせいだろう。自分のせいといえば格好がいいが自分で自分に穴を空けたんだなんて言われたらひどいじゃないか。

肝硬変患者は肝臓がんのリスクが高まるという。どこかでそれを望んでいる自分がいる。生きながらにして死んでいる自分と、文字通りこの世からいなくなる自分。どちらにしたって同じだ。

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暇3

朝起きてまず考えることは仕事を休む理由だ。実際休むかどうかは別にして。

体を壊したので週5日1日6時間勤務である。にしても長い。暇なので長い。かつてはやることがいっぱいあって気づけば定時を過ぎていた。それなりに充実していた。

このままこの仕事を続けられるだろうか。きれいなおねいさんでもいればいいが、そんなのはいない。ただただ暇なだけである。とても耐えられない。次を考えなければならない。

通勤だけで疲れてしまうので在宅ワークも考えた。ランサーズやクラウドワークスもやってみたが全然よくない。単価が安すぎる。サラリーマンがいかにいいかがわかる。

どこかで道を誤っただろうか、と考える。でも、どう転んでも今の通りになっていた気がする。

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